中インド出身の翻訳三蔵である曇無讖の伝記を『高僧伝』をもとに訳注した。その結果、涅槃経の前半部は中インドで成立したこと、また涅槃経の思想は、当時のカシュミールやクチャでは受け入れられなかったことが明らかになった。そして、曇無讖が北涼の姑臧で涅槃経の翻訳を完成した背景には、北涼王の沮渠蒙遜が曇無讖の持っていた神異力によって国力を増そうとのねらいがあったこと、仏法は人間の拠り所としてというよりは現実的な効力が期待されていたことも明らかになった。当時の北涼は、大国化しつつあった北魏に圧迫されていた。こうした事情も曇無讖を必要とした理由の大きな点である。その他に現行の涅槃経は成立史的に4重構造を持っていること、その4重構造は思想的には異なった背景を持っていると考えられること、曇無讖が訳出したのは第3段までの33巻分だった可能性があることも明確になった。そしてその4重構造は、中インド、中央アジアのスワット地域、タクラマカン砂漠南部という異なった地域の仏教と密接に関係しながら成立したことが明らかになった。一口にインド大乗仏教と言っても内容的に随分と隔たりがあること、中央アジアの仏教と北インドの仏教ではまったく異なった性格があることも明確になった。今後の課題としては、5世紀前後の中央アジアのスワット地域とタクラマカン砂漠南部の仏教の違いを明らかにすることが大乗仏教の本質解明の重要な鍵であることが明らかとなった。
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