研究課題に沿って調査・研究を実施し、曹洞・臨済両宗の展開について考察したが、特に曹洞宗の展開については、その成果を「總持二祖峨山禅師」(大本山總持寺出版部刊平成8年11月)に掲載し、また研究論文2編を公表した。以下に研究概要を記す。 日本曹洞宗は、開祖道元(1200〜1253)に始まり、瑩山紹瑾(1266〜1325)がその教えを受け継ぎ、さらに瑩山下に明峰素哲(1277〜1350)と峨山韶碩(1276〜1366)がでて大きく発展した。本研究では、明峰・峨山両師とその門下の活動に曹洞宗発展の端緒を求め、「法は明峰、伽藍は峨山」と称された峨山の行実を中心に考察した。 明峰には「明峰十二門派」といわれる門人があり、永光寺・大乗寺を拠点として宗門の興隆に力を尽くし、峨山のもとからは「五哲」、または「峨山下二十五哲」と称される弟子が總持寺より育つとともに、それぞれより多くの門弟子が全国各地に進出した。 そこで、峨山の生涯と思想を、開創寺院の現地調査と収蔵資料の検討により明確にし、さらに五哲と称される總持寺内の五院に住た直弟子についても考究した。この五院が合議のうえ輪番で總持寺に董住し、運営と布教に貢献する形式を採ったことにより、それまでに類をみない展開が可能であったと位置づけた。太源宗真(?〜1371)の普蔵院、通幻寂霊(1322〜1391)の妙高庵、無端祖環(?〜1387)の洞川庵、実峰良秀(1318〜1405)の如意庵、大徹宗令(1333〜1408)の伝法庵が五哲・五院であり、ほかに無底良韶(1313〜1361)、無際純証(不詳)、太山如元(不詳)、無外円照(1311〜1381)、源翁心昭(1329〜1400)を考察の対象とした。
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