今年度の本研究の実績としては、二つのことが挙げられうる。第一に、本研究は、日本においてキリスト教の聖書が受容されていった歴史に焦点を合わせ、その特徴を指摘することによって、宗教集団において教典が機能する一つの典型的・特徴的な仕方を明らかにした。 聖書が日本において受容されていく過程で注目すべき事実は、かなりの非キリスト教徒が聖書を購入し、部分的にせよそれを読んでいることである。概して、聖書は欧米の文化遺産の一つと見なされ、文学書・思想書の一種として受け入れられていった。しかし、そうした形での聖書の受容は人々を宗教集団に加入させるにはいたらず、その意味で聖書は教典としては機能していなかった。この傾向は、宗教集団自体の中にも見られ、特に無教会主義運動には特徴的な仕方が現れている。そこでは、聖書は教会の代替物にほかならず、そのため「書かれたものを読むこと」は運動の中心的活動となり、無教会主義グループは「聖書集会」になっていった。しかし教典の機能は、じつは、思想の伝達だけではなく、宗教生活全体と、とりわけ儀礼と密接にかかわっている。その意味では、日本のキリスト教の中では、教典は本来の機能全体のうち、かなり偏った仕方で機能していたのであり、翻ってそこに、近代日本のキリスト教の特徴の一つが浮かび上がっているのである。 今年度の研究実績の第二として挙げられるべき点は、宗教の原初的形態の中で教典がどのような位置を占めていたかを(正確に言うと、位置を占めていなかったかを)、ロバートソン・スミスおよびデュルケムの宗教起源論を学説史的にたどりながら明らかにしたことである。
|