1.ラクタンティウスの『神の怒りについて』と『神の教え』における彼の知者理解を検討した。 2.そこでは、知恵と知識との関係が重要であり、両者の関係は、ユダヤ・キリスト教の背景、ギリシヤ思想、とくにストア思想、ローマ帝国における政治的諸関係を反映する諸理念等の交錯によって複雑であることが認められる。 3.ラクタンティウスは「キリスト教のキケロ」と称せられるように、ローマ的・ストア的知者に傾斜しており、ユダヤ的キリスト教的知者(とくにパウロ)のもの特質を十分継承していない。古代キリスト教思想の形成者及び担い手としては、クレメンス、また後のアウグスティヌスほどの知者としての力量を有していない。 4.個人的知的能力による部分は別として、ほぼクレメンスに匹敵する思想史的状況における位置づけをもつにもかかわらず、ラクタンティウスがキリスト教的知者として中途半端にとどまった理由として、一つには彼の政治的態度が考えられてよい。 5.また、ラクタンティウスの知的生成に、個人的な信仰的経験が乏しいことが注意される。
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