1.このテーマに関する内外の従来の研究は、「知恵」の概念史を中心にしており、知恵の担い手である「知者」については、目ぼしい研究はほとんどない。これは研究史を顧みて明らかになった。 2.古代における「知恵」とは、キケロの定義によれば、「神の事柄と人間の事柄とに関する知識」であり、従って「知者」とは、このような知識を探求する人である。この定義は、たとえばストア派の哲学者に妥当するのみならず、ユダヤおよびキリスト教の思想家にもほぼ当はまる。 3.初期キリスト教のほとんどの思想家は、この意味での知者であった。ユスティヌス、アレクサンドリアのクレメンス、オリゲネス、ラクタンティウスなどが、知者であったことがそのテキストから判明する。 4.かれらは、知者として知恵の伝統の中にあり、知者の系譜をなしている。 5.かれらが知者であったことから生まれて来る思想的特質は、他の諸思想、とくにギリシア思想とユダヤ思想、さらにグノ-シス主義などと積極的に折衝しているところに認められる。つまり弁証論的である。 6.さらにそこから、単なる弁証でなく、他の思想のもっとも優れたところを自己の思想のうちに同化しようとする試みがなされる。「信仰」に加えて「知恵」あるいは「知識」をキリスト教信仰の必須の契機とする考え方がそれである。 7.このような考え方は、東方のみならず西方においても、思想形成の有力な動機を提供したのであり、その最高の思想的表現は、アウグスティヌスに見られる。
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