1.本研究は明治期九州におけるプロテスタント・キリスト教の伝播と受容に関するものである。すなわち、新しい宗教体系であるプロテスタント・キリスト教が、明治期九州において、どのように伝播され、またどのような階層に受容されたか、が本研究の課題である。 2.聖公会、改革派およびメソジスト派は、禁教令撤廃後(1873年)に、本格的伝道活動に入り、まず長崎市中に教会を設立し、ついで神学クラスを設けて日本人伝道師を養成、そして長崎を拠点に九州全域に対する伝道に着手するのである。後発のル-テル派は佐賀を、バプテスト派は福岡を拠点に選び、神学クラスを設置して九州伝道を開始する。組合派は京都を拠点に九州伝道をはじめる。 3.これらの諸教派の九州伝道は、鹿児島、熊本、福岡といった九州の主要都市を主たる対象としている。都市地域は多くの人口が集中におり、農村部と比較して、相対的に新しい京都体系に開かれているからである。その際に、英語教育を主体とする私塾、学校を設立して伝道の一助とする傾向が多分にみられる。その中のいくつかは今日にいたるまで存続している。 4.プロテスタント・キリスト今日の明治期九州における受容層は、何よりも都市部の知的個人ということができる。とりわけ、学校関係者、青年そして学生が中心であることは注目されよう、日本におけるプロテスタントが知識層の宗教であるとの特質は、すでに明治期九州においても顕著に観察されるのである。
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