本年度は、徳論の歴史研究の観点から、一方で近代倫理が古代の徳論を乗り越えざるをえなかった事情を、市民社会の形成という社会・経済史的観点を交えながら、おもにカントの思想の内に跡づけ、他方で近代倫理の諸概念が今日の徳倫理の側から「空虚で抽象的である」として批判されている点を、人格の概念を取り上げ検証した。前者の論点については、カントに於て、通常「義務を越える善行」とされる仁愛の行為が対他不完全義務として「義務論」の範疇に入れられなければならなかった事情を、パタ-ナリズム批判、啓蒙、自由などという観点から考察した。後者の論点については、今日、功利主義の立場ではロック的な自己意識要件に局限して解されがちな人格の概念が、カントにおいては一面で社会的な承認の対象でありながら、他面で経験的検証を越える理念性を有するものとして論じられており、徳倫理が批判する功利主義の難点を回避する可能性を有することを明らかにした。続いて、現代において徳倫理が注目されている事情を、「近代啓蒙主義的倫理学批判」および「道徳的実在論の復権」という論点との連関でまとめた。とりわけ、「正義」や「善」「人格」という近代倫理の希薄な概念に代えて、「思いやりがある」「臆病」といった濃い概念と、それへの自信(confidence)に基礎をおくべきであるとするB・ウィリアムズの考えと、H・パットナムの「内的実在論」とを参考にしながら、徳倫理を道徳的実在論の一様態として特徴づけ、かつ近代理性主義倫理とは異なった形で、価値認知の発展の可能性を見込むことができることを、ホ-リズムの成果を活用しながら明らかにした。
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