1. ボルネオ島中央部のプナンおよびクニャのいくつかの下位集団(バドゥン、ウマ・パワなど)の移住史・交流史に関しては、18世紀後半まで遡って、ほぼ再構成できたと思われる。文献資料としては、19世紀後半以降のヨーロッパ人による記録がほとんどであるが、そのデータに含まれる断片的な「真実」を堀り起こすために、これまでの現地調査で蓄積されている膨大な量の談話記録(録音からの文字化資料)を採用する必要があり、なお作業は途上ではあるが、大筋ではほぼ間違いのない歴史再構成になっていると思われる。2. 上記の再構成から、対象諸民族間の影響関係をある程度推定できる。それに基づいて、諸民族の音響データの比較・検討をおこなった結果、以下の知見を得た。 (1)マレーシアとインドネシアのプナンの歌唱について、即興的に歌われるにもかかわらず、それらの共通点は非常に多い。 (2)バドゥンおよびウマ・パワでおこなわれる即興的な歌唱のジャンルは、旋律構成上の共通点は少ないものの、形式としては、複数で唱和する部分が周期的に挿入されるなど、類似性が高く、これは、音楽的形式としては、かなり隔たりがあるものの、プナンの歌唱にもみられる。 (3)プナンの場合、バドゥンで用いられる音階と同一もしくはその省略形と見なされうるものが使用される例がいくつかある。 3.音表現にみられる以上の共通性は、カヤンなどの他の民族にもある程度通じるもので、中央ボルネオ諸民族が共有する音楽的要素をある程度特定することができる。そしてそれを支えているのが、彼らに共通する音認識の基本原理、さらにはある種の「美意識」であると推定することが可能である。
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