洋楽導入以後の日本の声楽作品を対象にしたこれまでの研究は、おもに音組織に限られている。そこでは、日本伝統音楽の音階が、西洋音楽の音階を混在させて豊富化されていることが示されているものの、言葉がどのように旋律化されているかについては論及されていない。言葉から直接旋律化された歌曲としては、戦前では山田耕筰と橋本国彦が挙げられるが、彼らの言葉の旋律化には無調的要素が入りこんでおり、言葉の抑揚を直接旋律化するには20世紀の西洋の前衛音楽が契機になっていることが認められる。 本研究のおもな対象とする戦後の声楽作品においては、無調性のほかトーン・クラスター、不確定性等の戦後の前衛音楽の手法が導入されることにより、音高だけでなく、リズム、音色の要素を取り込んだ音響化が言葉から導かれていることが認められる。たとえば三善晃作品では、無調的な旋律的紡ぎ出しにより、さらにそれらが声部間で交わるテクスチュアの中に言葉が敷衍され、武満徹作品では響きのテクスチュアの中に、一柳慧作品ではパターンの疑似反復の中に、言葉が敷衍される。これらの言葉の音響化と、彼らの器楽作品における語法の間には相似な関係が認められ、言葉の音が彼らの音楽語法の核となっていることが認められる。言葉の音響化と器楽における音楽語法を含む、より上位の概念として「音の身ぶり」を設定して、日本の現代音楽作品における音の身ぶりの特質を明らかにすることが今後の課題となる。
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