今日、美術の世界においては、社会の変動に応じてか芸術と社会の関係を特殊なイデオロギーに左右されずに再考しようとする傾向が強まっている。しかし、それが必ずしも公正であるとは言い難いものがある。本研究の課題であるアメリカの抽象表現主義も重要な芸術であるがゆえに、その批判の対象になってきた。 それは抽象的な芸術で社会派のように直接的なメッセージをもたないこと、1950年代の米ソの冷戦とマッカーシズムの時期に認められ始めたことなどからして、当時の社会の趨勢に阿ねたという見解も出されている。今回の研究は、主としてこの問題に向けられたもので、抽象表現主義はそのリベラルな精神において反国家的ではなかったが、マッカーシズムに協力する類のナショナリズムでは決してなく、問題視されている時期以前にもっとも芸術的、質の高い作品を生み出し、それが抽象的である意味についての考察を行なった。そして、これが可能となったことは、近代以降、芸術と社会がどのような繋がりをもってきたかという歴史的背景を探求させるものであって、そのためには抽象表現主義を支えてきた美術批評家はもとより、その周辺にいた文芸批評家の言説が重要な意義をもっていた点について考察されることを付記しておく。
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