熟達者は、その得意とする領域に関して豊かでよく構造化された既有知識を持っていると同時に、新しい知識を生成し得ることも少なくない。熟達者の認知の持つこうした生成的側面を解明し、その過程モデルを構築するため、平成7年度は料理と視覚芸術について、主として創作に関する実験を行った。平成8年度は個々の創作を超えた知識生成の過程とその根底にある熟達化に関する考察と実験を、主として料理について行ない、平成9年度はこうした熟達化に関する考察および若干の補充実験を行った。補充実験としては、入力の変化によって問題解決過程がどの様に変化するかの観測(料理)と、類似してはいるが異なる領域に熟達者がどのように適応していくかの記録の分析(洋楽から邦楽へ)を追加した。明らかになったのは次の諸点である。(a)調理法の再現課題での原材料の識別や加えられるべき処置の選定においては、参加者の知識による変異が大きい。(b)二人一組での調理法の再現はより多くの有望なアイディアを生み出すが、それが必ずしも適切に選択、採用されるとは限らないため、より成功的であるとはいえない。これに対し試作は効果的であった。ただしここでも参加者の知識の影響は大きい。(c)調理法に関しては、熟達に伴って様式的制約を適切に緩和しうる、という証拠は得られなかった。調理経験の多い被験者は通常の材料や器具がなくとも代替物を見いだしうるという意味で修復能力に優れているが、新しい料理の考案に関してはむしろ保守的であった。(d)初心者と中級者による西洋画の再現課題からは、熟達が再現を容易にした証拠は得られなかった。(e)邦楽の学習については、学習を始めた段階での邦楽の享受経験の量の少なさがもたらしたと思われる混乱が見られた。洋楽での経験は概して邦楽の学習を容易にする効果を持ったが、時に混乱を一層大きくした事例も観察された。
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