研究概要 |
本研究の目的は、「identity defusion」から「identityの統合」へという、Eriksonに代表されるような自我発達の過程に対し、批判的再検討を行い、自我発達にはその後、再び、「identityの発展的拡散」段階があり、それは、通文化的に認められるのではないかという仮説を検討するものである。「identityの統合」までの段階については、従来発達的検討が一貫してなされてきたが、その後のことについては、Markus & Kunda等に代表される、自己意識の状況即応的変容という、別のsrameworkで扱われてきているにすぎない。本研究では、「状況即応的な自己意識の変容は、自我全体を揺るがすものではなく、自己意識が構造化されているが故に、無秩序な変容を起こすのではなく、当該の事態に即した自己意識のある部分が活性化され、それは常に、全体の構造との関連を持ちながら進行していく」というMarkusらの見解が、まさに、「identityの統合」以後の「identityの発展的拡散」に充当するという観点から、「identityの統合」以後も含めた、一貫的な自我発達研究を志向するものである。 この点を検討すべく、自己認知の、「未分化な状態-拡散-統合-発展的拡散」と言う発達過程が、日本とアメリカの双方でみられるか、否かを検討する。第二に、いわゆる分化固有とみなされている現象も、通文化的現象として再検討できるのではないかという仮説の検討である。すなわち、いわゆるIndependent-self-scheme(Markusら)が顕著な分化においてさえ、自己意識の状況即応的変化に関する研究がなさらている。Kunda & Markusは、working self-conceptの観点から、自己意識の状況即応的変容を検討している。また、Linville(1985,1986)は、Self-Complexityという観点から同様なの問題を扱っている。これらの研究を概括すれば、対人行動状況において、その事態の要請に応じて自己意識を一時的に変化させるという現象は、通分化的に認められると考えられる。また、Markusはworking self-conceptの概念によって、状況即応的な自己意識の変容は、自我全体を揺るがすものではなく、自己意識が構造化されているが故に、無秩序な変容を起こすのではなく、当該の事態に即した自己意識のある部分がまず活性化され、それは常に全体の構造との関連を持ちながら進行することを示している。このことは、本研究における、自己認知の複雑さ、組織化の観点と対応している。以上のことから、本研究では、一度確立した自己意識は、その後発展的に拡散をしうるし、またそのことは、発達の進行上、通文化的にみられると考えるのである。 以上の仮説を検討すべく、平成8年度はLinville(1986)のself-complexityに関する検討を中心に行った。測定尺度としてアメリカでの有効性は既に実証されているが、日本でも使用可能か否かを検討すべく、これの翻訳を中心に、測定尺度としての信頼性、妥当性を検討の中心に据えた。現在データを分析中であるが、これまでの所、測定尺度としての効果性が見られそうな印象を得ている。
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