1963年から1983年までの5年ごとに朝日新聞と毎日新聞(各東京版縮刷版において子殺し・子捨てに言及のある記事を抜き出し、経年比較を行い、以下のことがわかった。第一に、子捨てと子殺しに関して公的統計でわかる範囲の動向は1960年まで多く、その後は基本的には減少傾向にあった大きな増減はない。しかし、両新聞記事はその動向と全く異なって、1960年代には寡少で1970年代に激増し1980年代にはかなり減少するというカーブを描く。したがって、公的統計上の「事実」と新聞記事に示される「事実」とは、数量的にみて明らかに異なっている。第二に、1960年代と比較した場合の新聞記事の激増は、具体的事件報道件数の増加によるのみならず、既報道事件の再報道、子捨て事件と新生児(生後一カ月以内)の事件の報道、解説、特集など非具体的事件報道に因っている。第三に、内容の意味関連においては、具体的事件報道は1969年度から一貫して父親の事件関与の増加を示すが、1970年代に特殊な非具体的事件報道は抽象的レベルの記述において「母性喪失」を原因として組み込んでいる。その結果、1970年代の記事内容は全体として見ると内部の論理予盾を抱えながら総体的印象として特に母親の在り方にのみ子殺しに関する新聞記事報道は、その量的側面、内容の質的側面等あらゆる側面において、非常に時代特殊的なできごとであったと結論する。だが、その「現実」が新聞を初めとする多くの人々にとって現実感をもっていたことはたしかである。しかし1980年代には消失することからして、「母・子・父」というテーマに対し人々の意識が1970年代に大きく変化した、あるいは少なくとも既存の価値の転換が迫られたのではないかと考えられる。
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