研究概要 |
(1)J.S.ミルの『自由論』『代議制統治論』の明治期の翻訳書で官僚制にかんする彼の議論がどのように翻訳されているかを検討すると,明治初期の日本官僚制の未熟な状態と漢字で培われた日本人の伝統的教養とに規定された,特徴的な誤訳が見られる。それはミルが官僚制機構が総体としてもたらす弊害として捉えた事柄を,官僚制機構を掌握した少数の人間による専制の弊害と捉える誤訳である。この誤読が当時の自由民権論にあたえた影響は軽視できない。『民選議院設立の建言』を批判した加藤弘之に対する副島・板垣らの『答書』は,『自由論』の引用で埋められているが,そこに登場する「有司専制」の概念は,答書がミルを翻案するさいの論理上の位置から見ても,当時の訳書でのbureaucracyの訳語との類似性から見ても,ミルの官僚制論の翻案であると推察される。また,有司専制論とミルの官僚制論との論旨のずれは資格任用制,官職紀律など近代官僚制の基本的な条件がまだ整備されていなかった当時の日本官僚制の条件に起因する。 (2)明治期の日本が参入しようとした19世紀後半から20世紀初頭の時期は,アメリカ合衆国が欧米社会をリ-ドし,その後の大量生産型「文明」の発展の牽引車となりつつあった時代である。『特命全権大使-米欧回覧実記』にしめされる初期の欧米把握では,合衆国のしめす連邦的自立と自由にもとづく産業型文明が開化の第一目標に掲げられるが,明治10年頃を境に,ヨーロッパ型国民国家が国家目標となる。これを反映し,肥塚龍によるトクヴィルの『アメリカの民主政治』の翻訳(『自由原論-米国共和政事』明治13年)では,democratieはことごとく,「共和」と訳され,民主と共和の区別が立てられない。アメリカ民主主義の本質にいたる,ヨーロッパ政体とはことなる視点に関する考察の欠如が当時の日本の欧米認識の重要な特徴となっている。
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