日本の伝統的家族は、「家」の世代的永続性を理念として形成され、長男による継承がその中心部を占めていたが、女子および次男以下の男子も、継承線のなかに組み入れられることもあった。継承線から外れた親族成員(特に二、三男以下の男子)がどのような形で生活の道を見出したかは、「家」制度、ひいては日本社会の構造と変質の理解にとって重要な問題であるにもかかわらず、その本格的な究明が行われたことはなかった。本研究計画においては、江戸中期以降を対象として、系譜資料などを手がかりに、「家」の周辺成員の動向を計量的に捉えながら、この問題への接近を試みた。従来の「家」研究は、法制や理念にかかわるものが多かったが、申請者は、「家」から疎外される立場にある二、三男以下のものが、いかに扱われ、いかに自分のおかれた状況に対処してきたかを実証的に検討した。この観点から日本社会の変動の契機を探るとともに、近年その進展が著しいわが国における社会経済史や歴史人口学の分野との関係づけを試みた。実際には、二、三男が養子または婿養子として他家の継承に組み入れられることがきわめて多く、このことが、高死亡傾向および少子によって特徴づけられるわが国の伝統的家族の人口学的特性に相関していることが明らかになった。 具体的な分析作業は、盛岡南部藩を中心に行い、前家督者の弟、甥、婿養子、養子などによる相続の事情を明らかにし、あわせて二、三男の身の振り方を追跡した。このほかに、秋田佐竹藩、加賀前田藩、会津藩、萩藩等に関しても資料の収集整理を試み、比較検討の体制を確保した。
|