平成7年度は、和辻にくらべると、研究の軌跡が十分にしられていない三澤の仕事を、あらためて総体的に把握することをめざした。三澤資料館、東大総合図書館等での資料探索の結果、三澤の風土論の成り立ちを理解するうえで興味深い、つぎのような事実があきらかになった。 第一に、初期の論文「諏訪製糸業の地理学的考察」や「上諏訪温泉の泉脈について」にみられる実学への志向性が、後の風土論の性格に色濃く反映しているようにみうけられること。 第二に、昭和初年に、当時、「地湧の思想家」としての場の理論を構想しつつあり、長野県の農民自治会運動へも少なからぬ影響をもらたらしていた江渡狄嶺と三澤との交渉をうらづける書簡が存在すること。以上の点は、今後、さらに検討していく必要があるようにおもわれる。 平成7年度に予定していた文献サ-ヴェイと資料収集は、順調にすすんでいる。来年度は、和辻、寺田、三澤にかんする研究のサ-ヴェイをし、前年度に得られた自らの知見の修正、ないし相対化をはかり、より一般的な風土の理論の構築をめざす。ただし、予定していた長野県の農民運動、農民自治会関係者の聞き取りは、多くが死亡ないし衰弱のため、成果は期待したものとはならなかった。また、石鹸運動にかんする聞き取りも、これから本格的におこなっていく予定である。
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