すでに国内および国外の文献は、第一次文献および第二次文献とも所在調査済であり、研究代表者および研究分担者の手許にないものを中心とした補充作業、そしてその整理作業から、本研究は着手された。計画された研究代表者および分担者の役割(山内:ドイツにおける「エミール」受容、安川:イギリスにおける『エミール』受容、その他ドイツおよびイギリス教育史専攻の大学院生を中心とした若干の若手研究協力者)にしたがって、作業にあたった。東京(筑波大学学校教育部)で研究打ち合せをかねた資料収集状況と研究体制の点検を行なった。 資料収集(九州、広島、京都、それにドイツおよびイギリス本国からなど)状況の点検の結果、いち早く完訳というかたちで紹介されたイギリスにおいては、『エミール』受容が近代学校教育の発展にとって否定的媒介とされたが、ドイツでは「汎愛派」のように学校教育の再生策として受容し、むしろその逆であることなどが仮説されることで、研究の焦点が対照化され、より明瞭となった。また、おりから、研究代表者の所属研究機関においては、18世紀のドイツ教育思想、ことに汎愛派の教育家のおおくの著作がオリジナルで収書され、そのなかには、『エミール』の「註」付き完訳を収めたカンペの『教育総点検』もあり、またフォルメイやフェーダーらの合・反ドイツ版『エミール』もある。研究成果として公表されたドイツにおける『エミール』の受容と近代教育学の成立に関する論稿はさらに増補して書物としてとりまとめることはもとより、今回の研究で基盤が整備された18世紀ヨーロッパ教育思想史研究の発展をめざし、ドイツではロマン派や若きヘーゲルなどのルソー、さらにイギリスではアダム・スミスらのルソー、といったようなヨーロッパの近代思想にアプローチする総合的な研究への発展を展望したい。
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