研究の開始にあたっては、研究代表者および研究分担者の手許にないものを中心とした補充作業、そしてその整理作業から着手された。資料収集状況の点検の結果、いち早く完訳というかたちで紹介されたイギリスにおいては『エミール』受容が近代学校教育の発展にとって否定的媒介とされたが、ドイツでは「汎愛派」のように学校教育の再生策として受容し、むしろその逆であることなどが仮設されることで、研究の焦点が対象化され、より明瞭となった。研究代表者は、研究室の紀要に研究成果として公表したドイツにおける『エミール』の受容と近代教育学の成立に関する論稿をとりまとめた。 計画の遂行については、収集済みのマイクロ・フィルムと今回集めた第二次文献の解析を中心とした当初予定の目標をほぼ達成しえた。しかしながら、研究代表者の所属機関においては、研究代表者を責任者とする学内経費の配分を受けて、18世紀ドイツ(敬虔主義/啓蒙主義)教育思想に関する膨大な第一次資料を入手し、現在、貴重書としての附属図書館の収書手続きを完了し、閲覧が部分的には可能な状態となった。そのなかには、『エミール』の受容にかぎってみても、フェーダーの『新・エミール』のように、書名のみで内容の知られていなかったものもあり、また、たとえばわざわざフランス語で書かれたフォルメイの『反・エミール』のようなドイツよりフランスへのいわば逆発信のものなども含めて、これらの内容の吟味がどうしても研究報告のとりまとめには必要不可欠ではあった。しかしながら、研究期間の制限もあり、とりあえず報告書の内容、文献一覧などのチェックを行ない、別添のように、それを取りまとめた。おりしも、研究代表者には1997年11月に国際会議に出席のためドイツを再訪する予定があり、当該研究領域のドイツ人研究者と交流し、ヨーロッパ本国での研究動向の把握に努めるが、そのおりに訪れるかつてのドイツ啓蒙主義の一大拠点ハレにおいて敬虔主義および啓蒙主義を中心とする研究を目的とする「18世紀研究センター」が設立され、文献資料が整備されつつあり、そこで入手しうる資料も併せて検討し、研究の発展を期したい。
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