1.日本人教員の面接調査とアンケート調査-主たるもの- (1)旧高雄(台湾)市平和第一国民学校の教員に面接調査を8名実施(横浜・東京・千葉・九州・沖縄在住者).同校に勤務時の学校教育の実態・教員の意識や実態・植民地教育をどう推進していったか、等について聞き書きをした.又、アンケート調査を実施後の面接調査である. (2)旧嘉義(台湾)市玉川公学校(国民学校)の教員の面接調査 同校の教頭(昭和16〜21年3月まで)に、当時の学校の教育方針、日本語による台湾人の教育、教員の学内の研究活動、女教員の実態やその指導等について聞き書き(青森県在住)また、同校の女教師3名(埼玉・徳島・福岡県)と男教員1名(鹿児島)とは、電話、手紙により、連絡をとり、同校に生活綴り方、国語教育のサークル活動的な教員の活動があったことや日本において、それらの教育運動を実施していた教師の存在も解明でき、植民地教育における教師の一つの典型が明らかになってきた.(なお、同校の卒業生数名(台湾籍)と文通をしている.) 2.台湾在住の「本島人」女教員と男教員の面接調査とアンケート調査(一部しか回集できない) 上記(1)、(2)の関係学校の教員との面接調査を実施(高雄市平和第一国民学校教員たちは、28名-教員22名だが戦後の教員も4名参加、同校後援会長(現在)、当時の教員の子ども2名等-玉川公学校(国民学校)関係者は、同校に18名集まり-教員(旧)12名新しい(戦後直後)教員3名同校(現崇文国民学)教員2.知人-新井と文通中-2名-集団や個別に当時の実態等を聞くことが出来た. 2校共に、戦後、戦前の資料は焼失している(高雄は戦争、玉川は日本のものは2・28事件等).2校の関係者の知人にアンケートを依頼した.しかし殆んど回収出来なかった.高雄高女の同窓会で教員経験者に34部お願い(アンケート)したが、数える程度しか回収出来なかった。個人面談は知人の紹介によった。 3.士林公学校の資料の収集、台湾師範大学、台湾分館等では、主に戦前の教育の統計等を収集した.
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