本研究の目的は第1に19世紀半期のプロセイン州農村社会が学区に策定されていく仕組みと第2にかかる学区化が農村社会においてもった機能的意味転換を分析することにある。第1の点についてはまず中央-州次元の教育行政機構改革史の基本的知識を得ておくことが課題となった。そこから得られた知見は1808年以降の行政機構改革の狙いは教会および民衆学校制度に対する専門的な国家監督システム(国家の一元的な監督体制・民衆の「国民化」)の確立にあり、地方においては激しく流動化した農村社会をラントポリツァイの一環として、学区-教区を最少単位とした行政的再編を試みるものであった。次に第2の研究課題についてであるが、この検討はもっぱらプロセイン州議会で学区が如何なる観点から論議されたのかを審議録から読み始める作業となった。その結果は次の通りである。(1)議会は学制における学区の自治制(学区理事会の自治・学区住民の理事会参加)を追求していたことであった。わたしはこの立場を、国家監督主義と対置される、ゲマインデ主義と限定した。学区のゲマインデ主義は、学区の行政的団体とも対をなすものであるが、学区(理事会)を行政官庁と交渉する機関と位置づける論拠とされていたのである。(2)議会の基本的立場は救貧団体を少なくともプロセイン州では先行研究でみられた「プロレタリア貧民に対する統制団体」たる「国家の下部行政機関」ではなく、議会の自治と基金によって運用される公共的団体として確立しようとすることにあった。学区は同時に救貧団体であることによって(学区と地区救貧団体はほぼ重なり合うとみてよい)公共団体の機能的性格をも担っていたとみられるのである。学区のグマインデ主義と公共性こそがプロセイン州の学制改革、すなわち1845年の「プロセイン州初等学校条例」の基本的理念であったのである。この知見は通説の全面的な見直しを求めるものである。
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