教授理論史上、教科教授論の体系的確立者として位置づけられうるドイツの教育家A.Diesterweg(1790-1866)の教科教授論構想の検討を手掛かりとしながら、今日の「教科」概念の再検討討議(例:学校における「新しい教科」構想議論、教科学習における「学校知」批判議論)に寄与しようとするのが、本研究の目的であった。 研究初年度であった平成7年度は、まず第一に、ディースターヴェークの主著『教職教養指針』(教科教育編)の内容分析と、それぞれの教科の理論的形成過程、教科間の相互関係(教科構成論)の解明に最も力点をおいて研究作業を進めていった。 同上書は、ディースターヴェークの没年(1866年)までに、初版(1835年)、第2版(1838年)、第3版(1844年)、第4版(1850年)と4回にわたり版を重ねてきている。そして、その内容は教科教育篇において、各専門科学者の協力を得ながら、教科教育論の質・量の発展が見られる。 平成7年度は、この研究作業を中心に据えて進めていき、パソコンを使用して、各版の内容的変化のデータベース化を図った。同時に、19-20世紀(主にドイツ)における教科教育の実践・実態に関する文献・資料の収集・整理という基礎作業に努めた。 その結果、ディースターヴェークの没年(1866年)までに、初版(1835年)、第2版(1838年)、第3版(1844年)、第4版(1850年)と4回にわたり版を重ねている、主著『教職教養指針』の教科教育篇についての全容(各版の内容的変化も含めて)がほぼ明らかになった。
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