ドイツのメールズおよびベルリンの教員養成所長であったディースターヴェークは、19世紀中頃ドイツにおける教員養成の課題を次のような2点であると捉えていた。すなわち、第1は、分科的体系的な近代諸科学をいかに初等教育課程に導入したらよいのか、第2は、科学的で体系的な教育の理論と技術を身に付けた初等教育学校の教員をいかに養成したらよいのか、ということであった。 ディースターヴェークは、それらの課題の解決に向けて努力したがゆえに、教科教授論の確立者と呼ばれているのである。その具体的成果が、彼の主著『ドイツの教師に寄せる教授指針』である。この著作は、ディースターヴェークの没年(1866年)までに、初版(1835)、第2班(1838)、第3班(1844)、第4班(1850)と4回にわたり版を重ねてきている。そしてその内容も、質・量ともに発展が認められた。 本研究の目的は、同上書各版にみられる教育課程構想の内容分析を行ない、近代学校教育における「教科」の成立を考察し、同時に「教科」学習の基本原則を把握することであった。その結果、(1)「共通必須の知識」としての「共通教養論」の内容的提起が確認され、その獲得の基本原則として(2)対象の認識活動を通して自己の認識が図られること、(3)対象の認識活動は、学習の共同性を必要としていること、が考えられていたことが明らかとなった。
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