研究概要 |
本研究は、近世武家社会の教育文化を手がかりとして、その発達経緯と近代的素地の形成過程を解明しようとするものであり、とくに、諸大名家の日常的な奥向き教育の実態とそれに関わる伝統や慣行の分析を行い、学問所・藩校などの教育との一体性・関連性を明らかにすることを目的として行った調査・研究の結果、本年度においては、以下のことが分かった。 1,加賀藩前田家文書・高田藩榊原家・尾張藩徳川家文書の家政史料によって、城中規式・慣行の検討を進め、とくに、比較の基準としての尾張徳川家における御小納戸役の文化・文政期「御留守日記」70冊を撮影・整理し、これまでに収集した「尾州御小納戸日記」「江戸御小納戸日記」と併せて分析したところ、「表」と「奥」(大奥・中奥)には空間的・社会的に厳然とした区別があり、とりわけ「奥」は藩主を中心とする特定の、許可された者たちの世界であることが明らかになった。 2,「奥」には、秩序を維持するために、様々な規式・慣行があり、学問・教育を行う上でも大きな制約になっていた。出入り願い、御側固め、誓詞・判元の決まりなどは、奥での教育の機会の開放を妨げる規式であり、月次講釈ですら、厳格な座列の規定と警護のなかで行われたことが知られる。 3,奥に出入りが許された者たちは、職務に関わる知識にとどまらず、藩主なその弟子の学問・教養形成に関与することが多く、詩歌を献じたりすることもあり、日常的に「稽古」の必要に迫られており、「片出入り」の願いを出して私邸に教師をまねいて教養を積んだ。
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