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1996 年度 研究成果報告書概要

幕末期における国学の受容と普及に関する教育史的研究

研究課題

研究課題/領域番号 07610257
研究種目

基盤研究(C)

配分区分補助金
応募区分一般
研究分野 教育学
研究機関岡山大学

研究代表者

山中 芳和  岡山大学, 教育学部, 助教授 (30144794)

研究期間 (年度) 1995 – 1996
キーワード日本教育史 / 近世幕末期 / 国学 / 本居宣長 / 藤井高尚 / 三河地方 / 羽田野敬雄
研究概要

本研究は幕末期における国学を対象として、その受容と普及の視点から思想的・実証的に考察し、近世における人と学びとの関わりを解明することを目的として行ったものである。研究成果の概要は次の通りである。
1.近世の国学の学問的大成者とされる本居宣長をとりあげ、近世における道をめぐる議論の中に宣長学の中心的テーマであった「人の道」の言説を位置づけるとともに、人の道の学びと日常生活における人としての行いとの内在的関連を、非規範的な秩序としての「世間の風儀」との関係において考察した。
本居宣長の学問を継承し、また平田篤胤とも交渉のあった近世後期を代表する国学者、備中吉備津神社の藤井高尚〔明治元年(1764)〜天保11(1840)〕をとりあげ、高尚の国学受容の特質を、彼の著作『浅瀬のしるべ』の執筆意図の考察と内容分析を通して明らかにした。高尚の宣長学受容は、歌文の学の摂取を目的としただけでなく、宣長学の古道思想あるいは「神の道」の思想への関心からなされたものであり、この関心が『浅瀬のしるべ』を一種の教訓本として成立させたものであることを明らかにした。
3.国学の地域における受容と展開について、平田篤胤門人、羽田野敬雄〔寛政10年(1798)-明治15年(1882)〕を中心に考察し、地方知識人としての国学者による営為の教育史的意義を明らかにした。羽田野敬雄は三河国吉田(現在の愛知県豊橋市)の田町神明宮と羽田村八幡宮の両社の神主であった。羽田野は三河における最初の平田篤胤の門人として、幕末から維新期にかけて平田国学の普及と文化的啓蒙に取り組んだ国学者であり、羽田野の事例によって幕末期における国学受容の一つの典型を明らかにした。

  • 研究成果

    (4件)

すべて その他

すべて 文献書誌 (4件)

  • [文献書誌] 山中芳和: "宣長学における「人の道」について-人の行いを中心に-" 鈴屋学会報. 13(号). 17-31 (1996)

    • 説明
      「研究成果報告書概要(和文)」より
  • [文献書誌] 山中芳和: "幕末期国学の地域における展開-三河地方における羽田野敬雄の活動を中心に」" 岡山大学教育学部研究集録. 104(号)(未定). (1997)

    • 説明
      「研究成果報告書概要(和文)」より
  • [文献書誌] Yamanaka Yoshikazu: "On the way of human beings in thought of Norinaga's Kokugaku" The Bulletin of Suzunoya Society. 13. 17-31 (1996)

    • 説明
      「研究成果報告書概要(欧文)」より
  • [文献書誌] Yamanaka Yoshikazu: "On the diffusion of Kokugaku in the late Tokugawa Period" The Bulletin of Faculty of Education Okayama University. 104. 104 (1997)

    • 説明
      「研究成果報告書概要(欧文)」より

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公開日: 1999-03-09  

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