3ヶ年の研究の結果、唐津藩の庄屋層の日常生活と教育・学習活動について、以下の点が明らかになった。 第一点として、庄屋の役務として文書作成、帳簿の作成が相当の比重をもっているということが具体的実証を伴って明らかになった。村落上層が筆算能力を必要とすることは既に多くの教訓書などに述べられているが、峯平蔵の日記を追うことによってそのことが実証された。 第二点として、特に17世紀中期という極めて早い成立期を持つ唐津藩の私塾であるが、その成立に当たっては実に多様な要素を抱え込んでおり、そこには塾の機能の末分化が見られる。特に教育内容では手習い・謡までも包含し、生徒にも成人から少年まで多様性を有していた。在村の私塾の揺籃期の姿をほうふつとさせるものが、そこにはあった。 第三点として、庄屋層の学習形態としての「学談」が特徴としてあげられる。峯平蔵の場合、同門の兄弟弟子たちとことあるごとに学談をしている。かれらの学問にかける意欲の形成原理まで逆上る史料には欠けるものがあるが、庄屋たちの自己形成と階層文化の固定化が、こうした学談や輪講などの知的ネットワークによってなされていたことを充分に実証する事例となった。 今後さらに、他の地域との塾・学者との関係などを洗いだし、知的ネットワークの動きを幅広く追うことが必要であろう。
|