本研究によって明らかになった成果は以下の点である。 1 古代アンデス文明発展の初期において公共的祭祀のための特別な建築すなわち神殿が社会の中心として機能した。その建築の規模は移跡によりまた時期によりさまざまであるが、非常に大規模な建設作業が必要であり、労働集約的である。 2 このような神殿建設は、アンデス文明形成期と呼ばれる時代の少し前から始まっており、形成期という時代の定義の変更をして紀元前2500年頃までにさかのぼらせることが必要かもしれない。この点は今後の研究課題である。 3 先土器時代末期の神殿はペル-の高地と海岸の両方の地域で発達していた。中部海岸のやや内陸部にまで北高地南部のコトシュ宗教伝統が広がっていたが、北海岸では円形半地下式広場を伴う神殿が一般的であった。 4 形成期前期では中部海岸と北海岸に巨大な祭祀センターが発達する。土を盛り上げた段階テラス型神殿と、細長くのびる広場型、U字形神殿といった形態の変異がある。北高地では3段の土留め壁をめぐらした大基壇神殿が多い。 5 紀元前700年前後の頃、北高地において海岸の神殿と高地の神殿の両方の特徴を融合させた特異な神殿が現れる。パコパンパ、クントゥル・ワシ、ラ・パンパ、チャビン・デ・ワンタルなどである。年代測定のデータをあてはめると、これらの神殿が建設されるとき、北海岸と中央海岸での大規模な祭祀建築は放棄されている。この現象の実体とその意義については今後の調査による解明が必要である。
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