研究概要 |
沖縄本島東部の与勝半島一帯(与那城町伊計,平安座,屋慶名等)において現地調査を実施した結果,この地域は琉球王国期から昭和初期まで盛んな海上交易(山原船交易)によって独自の発展を遂げてきたことが,住民の口頭伝承や地方出版物の中にフォーク・ヒストリーの語りとして示されていることが注目された。この点は伝承相互間に矛盾する形で語られていることも多く,今後は近代以降における各村落の共同店(一部現存)の成立史,村落内の階層分化等の要因分析から広く歴史人類学的な究明が可能なものと考えられる。 また,宮古諸島北部では,旧慣温存期終了後の明治30年代に日本本土から導入された鰹漁業が,短期間のうちにいくつかの島嶼村落に新しい漁業文化を生み出し,その文化形式が独自の伝統として今日さまざまなフォーク・ヒストリーの知識や村落史の語りを現地に根付かせていることが判明してきた。それらは住民自身によって語られ,また出版物として書き記されている場合もあり、歴史学で扱う歴史や,地方自治体が編纂している市町村史とはまた一つ次元を異にする第三の歴史記述として,それらは人類学的文化研究の貴重な資料になりうると言える。 ここにあげた2つの地域は,琉球王国期から近代を迎える時点でそれぞれ異なる時代環境への適応を遂げてきたわけであり,フォーク・ヒストリーは,各々の地域住民にとって独自なアイデンティティのあり方と深く結びついていると見てよい。 なお,以上の口述資料は,録音テープから文字に起こし,データベース化を進めることができた。
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