本研究は南インド・タミルナ-ドゥ州における寺院管理法の文化的・政治的背景とそれをめぐる訴訟記録を分析することを目的とした。初年度は独立以前の訴訟記録をデータベース化し、その時代的な傾向や争点、原告あるいは被告の特徴(司祭か管理人か、いかなるカーストか)などについて統計的な分析を行った。同時により一般的な文脈でヒンドゥー・ナショナリズムの形成過程についての分析を行った。2年目は寺院が法秩序の整備に伴っていかなる反応を示したのかを人類学的な調査を行ってきた寺院を例によって個別に論じた。またデータベースの完成につとめた。さらに植民地状況と密接に関わって発展したインドの人類学を考えるためにいわゆる歴史研究とは別の歴史人類学の可能性を考察した。 全体として言えることは寺院管理法の制定とその発展を通じて地域が英国流の法的言説の世界に組み込まれることになったということである。訴訟記録を見ていくと寺院管理をめぐる対立がさまざまなかたちをとっていることがわかった。それは司祭対地元の有力者、司祭以外の寺院で働く人々(花屋などのカースト)と管理者との対立、管理権を争う有力者間の対立、そして管理権を主張する政府と地元有力者との争いなどである。もうひとつ重要と思われるのは、管理法の制定に反応する形で、寺院の側から寺院運営や組織、祭りなどについての慣習を規律として文章化する動きがあったことである。これも寺院を中心とするコミュニティが法治国家の言説に取り込まれていく過程を示す現象と考えられる。
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