韓国・朝鮮社会の地域社会構成に関する人類学的研究は、主として父系親族組織の観点から行われてきたが、父系集団間を結ぶ姻戚関係についての研究はわずかしか進んでいない。本研究は、慶尚北道大丘府の17世紀末から19世紀中期にかけての四つの時代の戸籍を用いて、地域社会内部での姻戚関係の実態を検討する萌芽的な試みである。 朝鮮時代後期には、社会全体の儒教化が進み、氏族精度が整備され、父系的親族組織が発達した。門中とよばれる父系出自集団は、長期的な定着を前提として形成される組織である。しかしこの時期の農村社会の大きな特徴の一つは、地域的流動性が極めて高いという特徴があった。地域間の移住と姻戚関係の間に何らかの相関関係がみられるかどうかを一つの焦点として分析した。 隣接する5〜7カ村、各時期およそ350戸前後の記録を用い、父系集団間の関係を把握する視点から、戸主の外祖、妻の父系祖先および外祖、ならびに寡婦が戸主である場合の戸主の父系祖先を検討した。その結果、(1)17世紀末〜18世紀初頭の時期に、村内婚が急速に減り、今日のような村外婚的規範が成立した可能性があること、(2)その後の高い頻度の移住については、姻戚の紐帯が特に重要な契機となったとは認められないが、村落内部に姻戚関係が見られる時には、その大半は新規移住者に関わるものであること、が明らかになった。
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