山形県遊佐町の鳥海山蕨岡地区に残る資料を収集して、地域の文化的拠点であった蕨岡修験の地域社会の中での位置付けと、周辺地域に及ぼした文化的影響力を解明し、最終的には鳥海山修験道の全体像と把握することが本研究の目的である。その研究の本年度の実績としては、「鳥海山蕨岡修験の祭りと芸能」(『民俗芸能研究』第22号 平成8年3月 民俗芸能学会)、また「鳥海山蕨岡修験の胎内修行」(『山岳修験』第17号 平成8年11月 山岳修験学会)として発表した。またこうした資料収集や研究活動は地域への還元も重要と考え、機会を利用して地域社会の中で発言してきた。その結果地域の中で鳥海山蕨岡修験への理解も深まり、来年度は鳥海山大物忌神社から『修験の山鳥海山』(仮題)の本を一般向けに出版するまでに至った。 なお現在収集中の資料を来年度の公表に向けて整理中であるが、膨大な量の近世修験文書をどのように発表したらよいか、いまだに見通しが立っていないのが現状である。昨年発見した明治中期に記録された『大社考』は、鳥海山蕨岡修験の全体像を解明する上で重要な鍵を握っているという予測が立つまでに至った。しかしこの記録の資料批判をすることが本年度の課題であり、これは現在進行中である。 また本研究の目的である鳥海山蕨岡修験の全容の解明は、近世期における東北の修験道の一山組織の解明にも繋がり、宗教民俗学的にも、また近世日本の宗教史を考える上でも貴重なことだと思われるので、残りの時間を有効に使い、少しでも成果をあげるようにしたい。
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