奈良仏教者に関する伝承研究を進捗させるために、本研究では天平期に足跡を残した行基研究対象に据えた。行基研究をめっぐっては、律令政府によって弾圧され続けたのか、ないしは天平17年に大僧正に任ぜられたことをもって、きわめて篤く処遇され民衆から隔絶した高僧となってしまったのかとの論議がある。こうした論議をふまえて、全国各地の寺院の縁起を具に見ていくと、弘法大師空海に匹敵するほどに行基の名を留めている。その数は、四国八十八所巡礼寺院に代表される弘法大師信仰にたいして行基伝承と称することが許されるほどである。民衆の信仰でもある大師信仰をも視野にいれての空海の研究が進捗しているように、行基に関しても行基伝承を視野にいれての研究の必要性が感ぜられ、行基伝承の分布調査を主眼にして研究を進捗させてきた。 その結果、従来、競合していないとされてきた東北地方南部に伝播している徳一や北陸地方に伝播している泰澄等の高僧伝承と行基伝承は、一部の地域では競合していることがわかった。これは古代以降、行基伝承が、何らかの信仰集団によって伝播され、既存の信仰集団によって担われてきた泰澄など高僧伝承と結果的に競合したことを物語るのではないかと想定したい。今後の課題として、こうした競合の事例を検討していくことによって、奈良仏教者の歴史的物質が一層解明できるのではないかと考えている。
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