豊臣秀吉およびその一族の発給文書を網羅的に収集し、年次別・内容別などの分類を施し、判物や印判状など様式上の問題点について検討した。無年号の文書は可能なかぎり年次比定を行ったが、儀礼関係の文書は年次不明のものが多い。年甫や歳暮など、どのような機会に贈答が行われるかについても数量的に示した。現在のところ豊臣秀吉の発給文書は約6000点、豊臣一族の発給文書は約800点が確認されている。不十分ながらその全容を明らかにしえたことによって、今後の研究に見通しをつけることが容易になったと思われる。 豊臣秀吉文書についての古文書学的研究は緒についたばかりである。朱印状の出現時期やその契機、判物との使い分け、朱印の押捺位置、用紙(大高檀紙など)、独特な書札礼、いわゆる自敬表現、知行宛行状の形態の変遷、御内書様式の問題などについて、分析の手掛かりをつかむことができた。とくに秀吉の発給文書に添状を書いている武将は、豊臣政権の中枢にいて政権を支えた人物が多く、また、特定の大名や公家・寺社などと政権の間を仲介する取次としての役割を果しているので、一定の時期区分の中からそれらの武将を洗い出した。政策決定のプロセスなど権力構造の特質をつかむことができると思われる。ここで得られた知見を基礎にして、近く「織豊期研究会」(名古屋)のメンバーを中心にして『豊臣秀吉文書』の編纂作業に入る予定にしている。共同研究の成果に基づいて、充実した内容の文書集を学界に提供できるよう努力するつもりである。
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