本年度はまず、都市を考える場合、なぜ首都をまず第一に問題にしなくてはならないかを考えた。都市の本質は多様性ないしは混沌にある。従ってそれは一定の秩序のもとに統合されることが極めて困難な社会集団というべきである。では、にもかかわらず大抵の都市の秩序はなぜ保たれているのか。その多様な人間を、市民という抽象的で均質的な人間に還元し統合することに一応成功しているからである。 ではその成功は何によってもたらされているのか。人々を消費=生活のレベルで均質化する一定の「文化」の存在によってであり、人間を一般性においてとらえることが得手であり、特殊性においてとらえることが本来不得手な「権力」の強制によってである。したがって都市は、文化の生み出される場所であり、権力の集中する場所において、最もよく発展する。従って都市の典型を見るとすれば、それは首都に見なければならないのである。なぜならば首都は、宮廷費も含めて大量の国家予算が採算性を度外視して「浪費」される場であり、いうまでもなく一国の権力の中心だからである。 逆に首都の歴史的比較を行おうとする場合、我々がまず注目しなくてはならないのは、実は首都を支えている権力のあり様と、文化のあり様の歴史的比較である。本年度は特に、その文化のあり様の歴史的比較につとめた。日本近代の首都、東京・京都は、欧化主義に対抗して国粋主義が台頭する中で誕生した。その国粋主義の台頭と首都形成の関わりを、比較史ということを念頭におきながら検討した。
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