本年度は主に備後地域を対象に史料の解読と研究を進めた。とくに近世初期の尾道の空間復元を通じて、以下のような成果を得た。 1.中世後期以降、尾道の海岸線地域に住居し、かつそこを埋め立てによって開発してきた地下人たちが、戦国期から近世初頭の尾道の自治組織の運営主体であったこと。 2.尾道の自治組織は、地縁的団体である町(あるいは小路)の連合体=町中として存在した。 3.したがってこれはごく少数の有力な老(おとな)や数十名の月行司たちが輪番で運営しているのであるが、決してひと握りの初期豪商が支配する団体組織ではないこと。 4.老や月行司たちは商人・職人でありながらも、屋敷地や市場空間を所有する町人であり、また基本的に町人化を遂げつつあった。 今後は以上のことをふまえて尾道の市空間と町の構造の解明を進めていくとともに、他の地域の市場、問屋仲間についても考察を深めていく。具体的には萩と備中玉島の問屋形成、広島藩の牛馬市、宮島の市などを解明する。
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