「明治初年岩倉使節団の歴史的研究」は、私のこれまでの研究の総括をめざしたものであるが、その到達点を以下の3点についてまとめた。 1.岩倉使節団と『米欧回覧実記』 諸説のあった岩倉使節団の横浜港出航当時のメンバーを確定し、一行が米欧12か国で、何を見、何を見なかったか、その実態をまとめる見通しをほぼえた。また、その報告書『特命全権大使米欧回覧実記』の分析をした。 2.『実記』の編集者久米邦武の伝記はまだない。のちの歴史学者久米邦武の素地は、すでにこの『実記』の編集と叙述の中に垣間みることがてきる。もうひとつの問題は、明治20年代の「神道は祭天の古俗」事件との関わりである。この事件が歴史家久米邦武の形成に与えた影響は大きい。このふたつに視点をおいて、久米の生涯の特質をみようとした。 3.1と関連し、以下についてまとめた。 (1)従来必ずしも明らかでなかった明治4年11月12日、横浜港出航時の岩倉施設団のメンバー表の確定。 (2)使節団の12か国回覧の日程の概略のコースを年表風に作成。(以上、別冊報告書参照) なお、刊行本の『実記』と太政官に提出された浄書本との異同については、今後の研究にまたなけらばならない。研究継続中である。
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