中国古代、ことに漢代には儒教の「孝」の倫理道徳を称揚するため、死者の埋葬に莫大な経費をかける「厚葬」の風習が流行した。当時の人々の間で考えられていた宇宙は、最大層に天帝と諸神がいる天上世界、ついで崑崙山が聳え西王母などがいる仙人世界、その下に地上の人々が暮らす人間世界、そして最下層に祠主(墓主)のいる地下の鬼魂世界の四層構造からなっており、その配置は上下尊卑観念の原則に依拠していた。そして死者の霊魂は仙界に到達するのが、最上の理想と考えられていた。漢代の多くの画像墓や壁画墓あるいは付属建築物の祠堂には、このような世界観を如実に反映した図像配置がなされていた。ことに地上の人間世界には、昇仙途上の墓主と、墓主を接待する子孫の様子(いわゆる「車馬行列図」と「拝礼図」)が描かれ、ここに当時の人々の生活風俗場面がしばしば描き添えられた。 平成8年度は、主として生活風俗画像の中の農耕生活場面を整理した。素材は四川・雲南・広東・広西などの西南中国地方から出土する、画像磚・画像石・農耕模型(陂塘稲田模型)などで、これらを精密に分析することによって、漢代の西南中国地方の稲作技術を明らかにすることができた。そして、その成果を1996年8月に中国広州で開催された、中国秦漢史研究会第7回年会及国際学術討論会で報告した。
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