研究概要 |
ロック「所有権」論で言及されるアメリカ・インディアンは、その「所有権」論そのものを展開する上で骨格をなしていたが、このロック「所有権」論はそのプロトタイプをアメリカ・ピューリタンによるインディアンからの土地収奪を正当化する理論に見出しうるものである。そうした系譜をもつロック「所有権」論は、ファーテル(Vattel)の国際法とともに、オーストリア・アボリジニからの土地収奪を正当化する際にも、イギリス人によってもっとも援用された理論でもあった。ロック「所有権」論はア-ネイル(Arneil,B.)が主張しているのとは異なって、決して植民地論そのものではない。けれども、その出発点からして、西洋近代思想につきまとう植民地論の負の遺産をも継承せざるをえなかったのである。 西洋近代の植民地論、あるいは先住民からの土地収奪論についていえば、アメリカ・インディアンからの土地収奪論に先行して、イングランド人によるアイルランド人からの土地収奪正当化論をその起点として検討しなければならない。ここに、プロテスタンティズムとナショナリズムと重商主義とが一体化した当時のイングランド植民地理論のプロトタイプを確認しうるのである。 かかる西洋近代に染み込んだ植民地主義は、われわれ日本人の思想にも深く刻み込まれている。われわれの思想形成はとりもなおさず「西洋眼鏡」をかけることにもつながっているのであり、その思想の普遍性を確保するには、「西洋眼鏡」について剔抉のメスを入れざるをえないのである。 そうした西洋近代思想に刻み込まれた植民地主義を払拭するものとしてきわめて重要な意味を持つのがマボ判決である。これは、1992年6月にオーストラリア最高裁が下した判決であるが、これによって先住民の土地権原がようやく認められることになったのである。ここに、西洋近代思想は、カナダなどにおける同様の流れと共に、自己の中に包摂している植民地主義を解体する拠点をみずから築き上げることができることになったのである。
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