ゲルマン諸部族がユーラシア大陸西部にどのように移住し、オリエント地域から穀物種栽培・家畜飼育の伝播を得、古代ローマ文化の影響を受けて、中世ヨーロッパ文化圏を形成したか。これについて、ゲルマン諸部族の生成の前提をなすヨーロッパ地域の自然・社会環境と人々の係わり、住まい、作業場、祭祀広場、用具の形態・刻線・文様表現、定住の発展などを具体的に検討した。 今年度の研究によって得られた知見の成果は、次の通りである。 1.最近次々と公刊されている考古学的成果と国内の研究機関にすでにある古典的文献を突き合わせて考察することのよって、約300km^2の生活領域、小規模な住居が3〜50個群在した集落、数住居に係わる仕事場・貯蔵庫をもつ複合大家族の生産主体としての性格、犠牲を供えた祭祀広場を伴う集落のまとまり、金属溶融加工手工業の従事者と仕事場の屋敷地による遍在などが判明した。 2.ゲルマン諸部族の民会、フランク・ザクセン・アレマン諸部族法典にみられる民衆法的・王法的要素、村落の発展過程についての史料を検討すると、祭祀共同体、地域的交流圏、諸部族法典に王法的要素が挿入される際に、民衆法に配慮せざるを得なかった実情、集落や部族の人々の心性がマロベルグス裁判判告用語の内容に表れる点などの成果が得られた。来年度以降、考古学的成果に基づくゲルマン文化の部族的地域的確定、中世初期に至る定住諸形態の実態、定住の時期的地域的発展を考察し、諸部族法典・勅令内容の検討に基づく人々の心性の部族的地域的共通点と差異点の究明を重ね、ヨーロッパ文化圏の担い手の心性にせまりたい。
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