今年度はサヴォワにおいてどのような地方意識が成長していったのか、また、その地方意識の形成に何が寄与したかを検討した。その結果、第一に、「サヴォワ国民」という表現はすでに1814-1815年ごろには、Joseph de Maistreの文章に現れるが、なおその「国民」観念は政治的なものにとどまっており、サヴォワの「国民」意識が歴史的文化的な根をもつようになるのは1820年代以降のロマン主義の興隆のなかでのことであることがわかった。このころ以降サヴォワでは文化活動が開花するが、とくに19世紀中葉のいくつかの地方歴史学会が創立されたのは注目に値する。これらの地方学会で「サヴォワ国民」に関する史料の収集・保存とサヴォワのルーツが初めて組織的に研究されるようになるのである。 第二に、外国人によるサヴォワ賛美と観光業の発展(商業主義)がサヴォワの地域意識の発展に関与していたことが確認できた。風光明媚なサヴォワの自然は、アルプス賛美の延長として、したがって外国人によって評価されはじめ、地方の外から観光客を呼び込む観光業は第二帝政下に発展し、やがてサヴォワの主要産業の地位に達する。このように、サヴォワの地域意識は外部との交流の中で刺激され、また外部との交流の発展を不可欠の要件としていたのである。 第三に、サヴォワ人とフランス人とは併合直前まで互いを別の「国民」であると意識していた。サヴォワは「国民」からより大きな国民国家の「地域」住民になる道をすすんで受容することになるが、これにはサヴォワの「国民」意識が文化的なものにとどまっていたことも与っていた。
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