フランス農村における政治的文化変容の過程、つまり近代的市民社会原理がいかにして浸透、定着したのかを、ブルジョワによって主導された教育結社運動の歴史を通じて、明らかにしようとしてきた。研究の過程において、二つの理論的な枠組みを主として参照した。一つには、ハ-バーマスによって体系的に提示された「公共圏」論であり、いま一つは、19世紀フランス農村・農民の「政治化」論である。 「公共圏」論については、すでにその動向を押さえた上、19世紀のフランス史への適用を試みた論考をまとめた。そこでは、G・イリーの研究を参考にして、次のような問題提起を行った。民主制を単なる制度的次元だけでなく、社会の諸階層の行動様式、日常的実践のレベルまで含めて捉えようとする公共圏論にとって、民衆層と政治との関わりを積極的に視野に取り込むことが重要である。その際、M・アギュロンに代表されるフランスのソシアビリテ研究が貴重な手掛かりを提供してくれると考えられる。アギュロンのいう「サークル的結合」を媒介とした民衆の政治への関与は、公共圏の拡張の具体例として捉えることができよう。 また農民の政治化論については、もはやブルジョワから農民へ、あるいは都市から農村へといった伝播論的なシェ-マでは十分でなく、農民が市民社会的政治文化をどのように独自なやり方で活用しえたのかを理解することが必要であるとわかった。具体的には、第二帝政期のブルジョワジ-の動向を特徴づけた「教育同盟」の民衆教育の運動をとりあげ、その理念と構造、地域的分布を解明した。しかし今のところ、この運動が農村で具体的にどのように展開され、農民がどのような受けとめ方をしたのかを明らかにするには到っていない。この点に関する研究がとくに重要な課題であり、今後も研究を継続し、発展させていく所存である。
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