イギリス革命に際して民衆が政治の表舞台に登場するが、民衆が係わった時期は三期に区分される。第一期は1640-42年の期間(長期議会の開会から内戦の勃発まで)。私は、まず、同時代の国王派クラレンドン伯の『イギリス叛乱史』に叙述されている民衆の騒擾、とくにロンドン民衆の動向を考察することによって、国王と議会との間の政治的争いが中心となった第一期の民衆運動の性格を検討した。その結果、この期間の最も顕著な特徴として、ロンドンの街頭でストラフォード伯・国教会主教・「カトリック的な」貴族に反抗するデモンストレーションと請願運動が連続して起こったこと、抗議に参加した民衆を構成したのは「中間層の人々」(手工業職人・商人・徒弟)と「下層の人々」であったこと、などを明らかにした。私は、次に、クラレンドン伯の描写した民衆像について、トマソン・コレクション等の一次史料を読み併せて多角的に検討し、ロンドン民衆及び抗議行動の実像を探った。第二期の1642-49年(内戦の勃発から国王の処刑まで)に関しては、目下、クラレンドン伯の記述を読み進めているところであるが、ロンドン民衆の動きと比較する意図から地方民衆の動向を、クラレンドン伯の観察に依りつつ整理した。その結果、内戦初期における地方社会の人間関係の変化・支配階級のヘゲモニ-の喪失に関して、新たな知見を得た。それは、国王派貴族・ジェントリによる兵員徴募の際に、多くの州で、威信と尊敬(名望と恭順)を紐事とする領主と農民の古い結合(ユニオン)関係が掘り崩されたことである。このことは、内戦が当初から、支配階級に対する反抗をはらんでいたことを意味する。この問題を、「ロンドン大闘争」(1646-47年)の文脈のなかに探ることが次年度の研究の中心課題となるであろう。
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