本年度の研究で、16世紀初頭に宮内府内部に設置されたPrivy Chamberが、少なくとも16世紀半ばまで国家財政に深く関わっていることを明らかにした。つまりこれまで通説的に論ぜられてきたように、16世紀初頭に国家財政の運営の中心が、家産的な宮内府から官僚制的な中央行政機構へと明確に移行したとは必ずしも言えないということである。しかしPrivi Chamberと国政との関わりは、それだけにとどまらず、秘書業務、印璽の管理、国王の私的生活の世話など多岐にわたっていた。当然のことながら、同局の機能が重要性を増せば、それだけ、同局の官職も宮内府内部の官職序列内でもトップ・ランクに位置付けられるようにもなった。ここで問題となるのは、なぞPrivy Chamberが設置直後から急速に行政機能を拡大していくのかという点であろう。そこで次年度の課題として、同局の実質的な責任者であった宮内次官補(the Groom of the Groom)職の設置にいたる経緯、その行政権限拡大の過程を分析しながら、この問題について考えてみたい。その際とくに問題となるのは、宮内次官補の職務は、国王の用便の処理・便器の管理であったが、次第に国政へも深く関わるようになっていった点である。つまり、宮内次官補が国王の私的な領域のみならず、公的な領域にまで職務権限を拡大することを可能にした背景には、何があったのかということである。より具体的には、宮内次官補職がもともと国王の身体に関わる職務であったことから、かつてカントロヴィチが論じたような「国王の2つの身体」の理論とこの問題の連関性と同職の連関性を中心に論じてみたい。
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