本研究において、テューダー絶対王政期に宮内府(the King's Houschold)内にPrivy Chamber(Privy Chamber)が成立する過程と同局が管理した国王金庫について検討した。 宮内府は中世以来、ハウスホールドとチェムバ-の2部局から構成されていた。ところがヘンリ8世治世にそれに新たにプリヴィ・チェムバ-が加わった。その意味は、単に国王が私的空間を確保することにとどまらなかった。すなわちプリヴィ・チェムバ-は、国王が認めたごく限られた人々しか入室が許されず、国王の権威の発現の場として宮廷社会内部において中心的な位置を占めるようになった。また国王は同局の私的なあるいは非公式な性格を利用して、財務府などの公式な部局を回避する形で国家財政運営にも関わっていたのである。 次に検討した国王金庫は基本的にプリヴィ・チェムバ-の職員が管理する私的金庫であった。16世紀半ばの国家財政は、かつて見られなかったほどの危機的な状況に直面していた。そのため国王政府は、部局の統廃合、財務行政活動の調査、経費節減、通貨改革などの方策を通じて、この危機を乗り切ろうとした。そうした方策の1つとして、この国王金庫が積極的に用いられたのである。その理由は、国王金庫が、あくまでも国王の私的な金庫であったことから、非公式性と融通性を兼ね備えており、国王は比較的自由にそれを用いることにある。そのため国家財政収入の主要部分が、まず国王金庫へ準備金として集められ、いかなる危機的な状況へも迅速に対応できる体制が整えられたのである。 このように宮廷府はプリヴィ・チェムバ-を通じて国政に深く関わっていたのであり、かつてエルトンが主張したように、1530年代以降に宮内府は国政からまったく退いて国王家政の運営に活動を限定されたわけではなかったのである。
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