アメリカの社会運動における無産者の位置づけを行うために、19世紀末ポピュリスト運動の中心地であったカンザス州中部のマリオン郡に焦点を当て、この郡のポピュリスト運動において、無産者である小作農が運動にどのように関わっていたのかを明らかにすべく、現地調査で収集した史料の分析を進めている。 マリオン郡はポピュリストが活発だったカンザス州中部のなかでは、その力が最強だった地域の周辺部に位置しているが、金納地代制として有名なスカリ-地主制が存在していたこと、及びロシアからのメンノ-派移住者が郡西部に集中していたことにその特異性があった。ことに、金納小作が多数存在していたことは、無産階層とポピュリストなどの農民運動その他の社会運動との関わりの究明のために、この郡が絶好の対象であることを示している。 現在までに収集した史料の分析から、仮説的にではあるが、以下のことが指摘しうる。まず、郡東北部を中心に展開する金納小作地帯では、ポピュリストの得票率が低いことから、小作達は余りポピュリストの訴えに反応しなかった可能性がある。一方でポピュリストの活動家としての名のみえる小作農も存在するが、彼らの多くは、小作地だけでなく自作地を持つ自小作であった。また、マリオン郡南東部や中部のような比較的早く開発が始まり、鉄道の便にも恵まれていた地域ではポピュリストは高い得票率を得ている。これらのことがポピュリストの性格にどのような関係があるのか、今後の考察の課題である。 以上、研究の現段階は最終的な結論を出すまでには至っていない。しかし、新たな知見の一部は一般的な形で、『アメリカの歴史』第7章「19世紀末の合衆国社会」に生かされている。
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