本年度研究の主要課題は、本研究全体の課題であるヴァームベ-リの反露思想の日本における受容に関する考察であったが、徳富蘇峰とヴァームベ-リとの出会いの動機を探り、それに関して以下のような知見を得た。 欧米視察旅行の途中の1896年11月にハンガリーの首都ブタペシュトで、徳富蘇峰は中央アジア旅行家・言語学者として知られるヴァームベ-リに出会ったが、若い蘇峰が故郷の熊本で開いた「大江義塾」時代にすでにヴァームベ-リの“The Coming Struggle for India"を「東京の丸善で」入手し、それを熟読することによって中央アジアの歴史とそこでのイギリスとロシアとの対立の構図を知ることができた。そこで得た中央アジア情勢に関する知識は、蘇峰の出世作である『将来之日本』の「腕力世界(二)」の記述に生かされている。さらに蘇峰は雑誌『国民之友』に「中央亜細亜に於ける露国の将来」と題する連載記事を載せたが、これはヴァームベ-リの著作の抄訳であった。蘇峰にヴァームベ-リの著作との出会いを可能にしたのは、東アジアにおける欧米列強の帝国主義的植民地政策に対する日本政府の対抗意識が、19世紀後半の中央アジアにおけるイギリスとロシアの激しい覇権争いに目を向けさせたこと、日本政府が中国・朝鮮問題に取り組む際に、その延長線上で欧米以外の地域に対する関心を徐々に高めつつあったこと-それは西徳二郎に代表される中央アジアや中東といったヨーロッパの周辺地域への日本人の調査・旅行などにも表れているが-、などに見られる国際情勢の理解の必要性であった。中央アジア踏破の高い評価を与えられ、逆にイギリス文化の優秀さを称えた親イギリス派のヴァームベ-リは中央アジアにおけるロシアの脅威を言い立てた。そこで三国干渉後、東北アジアに支配権を伸長させるロシアの姿勢を非難する姿勢を強めていく蘇峰にヴァームベ-リの主張は十分受け入れられた。
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