本研究は、日本の古墳に副葬された主要な威信財である青銅器の型式学的、分布論的考察によって、それらを製作、配布した古墳時代の中央政権がどのような推移をたどったかを明らかにすることを目的としている。主な資料操作としては、まず1、2年度に三角縁神獣鏡、筒形銅器、巴形銅器の資料を収集し、2、3年度にその型式学的変化や分布の推移、出土古墳の性格などを検討し、これらの青銅製威信財が持つ歴史的意味を考察した。3年度の終わりには、研究成果を報告書としてまとめたが、その論旨は以下の通りである。 古墳時代の首長古墳の副葬品検討すると、3世紀後半に前方後円墳を創出し、列島内の政治的主導権を握った大和勢力が、権威のシンボルとした中国製の三角縁神獣鏡は4世紀後葉を境に急速に衰退するのに対して、これと入れ替わるように、河内平野に巨大古墳を営んだ河内勢力が権威のシンボルとあいた筒形銅器、巴形銅器-これらは最近朝鮮半島南部の首長墓からも発見例が増えてきた-が急増する事が明確になった。このことは列島の政治的主導権は4世紀後半を境に、中国華北王朝との交渉を基盤とした大和勢力から朝鮮半島勢力との交渉を基盤とした河内勢力へと移動したことを示していると考えられる。そして、この中央政権内での勢力図の交替は、列島各地の系列首長の交替をも含むいわば全国的な政界再編であったと位置づけた。こうした列島の古墳時代政治史の変動の背景には、西暦316年の中国華北王朝(西晋)の滅亡、それに続く朝鮮半島における国家形成の進展という歴史展開が考えられる。古代東アジア世界においては、中国という大国の歴史的動向が周辺諸国の国家形成のありかたをつよく規定したのである。
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