東日本における縄文・弥生過渡期の研究を、おもに条痕を付設した土器を対象として調査を実施した.その理由は、縄紋時代終末の条痕のなかに、弥生土器の顕著な技法である篩猫紋の原型があると予測したためである.両者の関連性は、はたせるかな、この研究において東日本の出土品を調査し、はじめて判明したのである. まず第一に、櫛描紋の原体はこのたび実験により復原した「桟篩〕と呼ぶべきものが主流であって、通説は誤解、もしくはあまりに抽象的な議論にとどまっている.この桟櫛は、縄紋土器の条痕の原体の1種にほかならない.その決定的な証は、弥生土器でいういわゆる「複合櫛描紋」である.調査期間中の資料収集では、埼玉県内出土の前期弥生土器に「複合櫛描紋」を条痕として付設したものが注目できる.これは、櫛描紋の原体の起源が東方にあって、それが西方に伝播して弥生土器に活用され、櫛描紋土器が発生した証拠である. 桟篩の構造は、まさに櫛であるけれども、製陶のほかは使用に耐える者ではなく、製陶専用の工具としての使用は縄紋時代の晩期をまなりさかのぼる.古くからの発明品にちがいないが、その出現期については、また調査が十分ではない. 桟櫛は串とする竹の形態により、表竹連体、裏竹連体、表裏竹連体など数種に細別でき、また実際の出土品においても、この分類を適用することができる.いわゆる櫛描紋が頻用する原体は、そのうちのヒゴ連体である.
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