中部高地は本州最大の黒耀石原産地帯として、また南関東平野部は日本列島でも有数な旧石器時代の遺跡密集地帯として、それぞれよく知られている。その中部高地産の黒耀石が、上部旧石器時代人の手によって南関東平野部へと運搬されていた事実は、すでに理化学的に実証済みである。では、そうした黒耀石の搬出・搬入は、一体いつどのようなかたちでおこなわれたのか。 中部高地から搬出された黒耀石が南関東平野部へと大量に搬入されたのは、約2.2万年前以前(前半期)と約1.8万年前(後半期)の二度にわたった。しかも、前半期と後半期とでは、黒耀石運搬のかたちが明らかに異なる。つまり、前半期には、南関東平野部に狩猟・採集活動の拠点をもつ移動生業集団が、随時中部高地に赴き黒耀石を持ち帰った。これに対して、後半期では、中部高地から南関東平野部へと黒耀石を運搬する石器製作者集団が出現し、南関東平野部の移動生業集団はこの石器製作者集団を介して黒耀石を常時入手するようになる。 すなわち、石器製作者集団の出現は、移動生業集団の直接的な自給自足による黒耀石の入手を、第三者を仲立ちとする間接的な入手へと変容させたのである。ここに、旧石器時代にはじまる物々交換の萌芽を見いだすこともできる。と同時に、南関東平野部の各地へと黒耀石がいきわたるネットワークが成立したものとみてよい。一方、中部高地産黒耀石の搬出先は、決して南関東平野部にのみとどまっていたのではなく、広く北関東から東北にまでも及んでいる。そうした意味で、中部高地の黒耀石原産地は、関東・東北地域へと黒耀石を搬出するネットワークの起点であり、そこは上部旧石器時代の一大物流センターと化していたと考えられるのである。
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