1.これまでに唯一知られている縄文時代晩期の用作遺跡周辺の分布調査を再度行う。当遺跡が所在する台地は先史時代の遺跡として好条件に恵まれた自然環境にあるが、繰り返し行った分布調査でも晩期以前の遺跡および弥生時代の遺跡は確認できなかった。このことから黒曜石の原産地でありながら、姫島では積極的な石器生産の場とは成りえなかったと考えられ、先史時代における石器生産の構造を考察する上で重要視される。なお、この分布調査で、姫島西端の低丘陵において流紋岩製のナイフ形石器と剥片を発見した。後期旧石器時代の石器は始めてだけに大きな成果と言えよう。 2.国東半島東岸の分布調査で特記すべきこととして、武蔵町の熊尾遺跡に隣接する東側丘陵末端近くの造成工事跡で、弥生時代中期前半の下城式土器と共に姫島産黒曜石の石核・剥片など多数を採集した。石器製作遺跡として注目される弥生時代中期の熊尾遺跡の東側の広がり、ないし関連する遺跡と考えられるだけに注目される。 3.愛媛および高知の四国西南部地域の姫島産黒曜石の関連資料と遺跡の資料収集調査は、遺跡の立地に視点を置いて行った。石器製作が推測される遺跡は、海岸ないし河口近くという共通する立地が確認され、姫島からの重い原石の運搬と深く関わることが、すなわち石器生産や中継地としての重要な条件であることが理解できた。 4.縄文時代における姫島産黒曜石の生産と流通は、伊万里市の腰岳産黒曜石の在り方との比較によって、より明確になるものと考え、腰岳産黒曜石の原産地遺跡と出土資料を見学した。その結果、同じ黒曜石と言う石材ながら石器生産の構造に両者の相違が見られ、しかも互いに関連しない地域文化の存在が予想される。
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