(1)9年度は前年度に引き続いて姫島産黒曜石の石器・剥片などが出土している遺跡について、報告書・論文などの文献および関係機関の調査者による聞き取り調査を行う。合わせて北九州市と山口県下の瀬戸内海側地域の姫島産黒曜石の遺物出土遺跡と所蔵の関係機関で、実地の資科収集を行った。海岸から離れた内陸部でやはり製品のみで原石や石核は見出せなかったが、周防灘を介して姫島が遠望できる熊毛半島の遺跡では原石や石核が認められ生活遺跡でも多少石器生産が行われている。しかしそのような遺跡および関連資料は限られており、基本的には剥片や製品での搬入と見なされ、原石の管理や専業的集団による集中的な石器生産と流通のシステムが想定される。宮崎や鹿児島などの南九州の調査でも同様な結果を得る。 (2)これらの資科収集調査と並行して姫島に対峙する国東半島西側地域調査を行った。豊後高田市の縄文時代後期の寺田卯月遺跡の存在は注目される。当遺跡は現海岸線より約7キロメートルの内陸部で、石鏃などの石器と共に多量の姫島産黒曜石の原石・石核・剥片が出土しており、原石の持ち込みから製品まで一連の石器生産が行われている。原産地遺跡ともまた単に消費地遺跡(生活遺跡)でもない遺跡が姫島から直線距離で約26キロメートル離れて所在し、しかも多量の石器生産が行われている。 これまで姫島に隣接する原産地遺跡とそれに対応する消費地遺跡と言う石器生産の構造とその流通、さらにそれらを支える専業的集団の存在を想定していたが、このような遺跡が姫島近郊に存在して一つのタイプとなり得るかどうか、現時点で即断できないが、先史時代における姫島産黒曜石の石器生産と流通での新たな視点が提起される。
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